シン・エヴァ感想とか、エヴァの思い出話とか。

3/10に、シン・エヴァンゲリオン劇場版を鑑賞してきました。

 

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前作から約8年、シリーズを通してみればTVシリーズから25年という歳月が流れ、遂に解禁された本作。公開初日から毎日のように、シアター内では様々な思いが観客席から沸き上がり、立ち込めていることでしょう。勿論それは自分も例外ではなく、本当に色んな感情がぐちゃぐちゃになった状態で、席に座りました。

 

そのシン・エヴァの感想を、ネタバレ全開で、個人的な思い出話やら色々挟みながら書き殴っていきますので、お時間あれば最後までご一読いただけると幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

まず、素直に感想を言うと……感無量でした。

涙を堪えるのに必死なくらい。

(いや実際は堪えれてない)

 

正直、観る前は本当にどんな内容でも良いって思ってて、鬱エンドになろうがどうなろうが、とりあえず子供の頃からこの作品を追いかけ続けてきた俺を、一度楽にさせてくれと、割とそんな投げやりな感じで身構えていましたが、まさかここまで爽快感のある〆とは。

というのも、やっぱり前作Qの内容を思うと、どう纏めるのかっていうのは考えてしまうところはあるじゃないですか。

ちなみに自分は、嫌いじゃないんですよQは。今回の最終章を観る前から。というか好きまである。

ただQを好きな理由というのがストーリー的な部分ではなく、演出やデザイン等の「アニメーション」としての面白さだったので、別にあの謎でしかなかった内容を擁護するつもりはなかったんですよね。擁護といえばせいぜい、よく巷でミサトさんの変貌ぶりをネタにされる度に

「あの『何もしないで』は冷たく見せかけたあの人の優しさだろ…だってあの時だけバイザー(子供と目を合わせて話さない、理不尽な大人のメタファー)を付けてないんだから…」

ってフォローくらいはしたい気持ちでしたけど、その根拠も無かったですからね…最新作観るまでは。(いやー本当にその通りで良かった)

そんな謎だらけなQを経ての最終章、素直に「いえーい楽しんで観るぞー!」なんて気持ちで挑めるわけが無かった。ただただこのシリーズが終わってほしい、その最後を見届けたい。観る前はマイナス寄りな感情の方が強かったかも知れません。だから余計に、今作の内容には胸を打たれたのだと思います。

 

ただ……本当に、いちファンとして泣けるくらい最高な内容だったのは間違いないんですけど、同時に

「映像作品としては旧劇場版が至高かな」

って思いました。

旧劇、あまりに衝撃的な描写の数々故に、特に人を選ぶ作風だとは思いますが、あの表現は個人的にアニメとしての美学を感じてしまうんですよね。エヴァで自分から考察したのは、後にも先にも旧劇が唯一です。

アクション的な面では、やはり庵野さん本人も言われている通り特撮映像の楽しみを取り入れた「破」が一番印象的ですが、総合的に一番好きなエヴァの映像作品は、個人的には旧劇ですね。これはシン・エヴァを観終わった後でも変わりありませんでした。

でも……そんなエヴァで、最後あんなに爽やかな気持ちになれたんですよ?シン・エヴァ嫌いなわけないじゃないですか。

最近この手の集大成的なアニメやゲームでよく見られる、過去作のネタを拾ったりオマージュしたり、過去作で出来なかったことを詰め込んだりして、きちんと辻褄合わせて完結させる、ファンサービス的な最終章。25年間とまでは言わずとも、30手前の今の自分の人生の、半分近くの年月の間付き合ってきた作品が、最後の最後でファンサービスかましてくれて、嬉しくないなんて嘘です。

 

あえて微妙な言い方をすると、シン・エヴァは全体的に、アニメ映画としては今時の、ファンサービスの効いた良い映画だった。あのエヴァが一周回って普通に面白いアニメ映画になった。そんな感じです。勿論、エヴァならではの映像的な面白さはありましたけどね?

 

だから、新劇場版シリーズだけ履修してる人が観ても、きっと「ふーん、まぁ最後綺麗に収まったし、良かったんじゃない?」くらいの感想になると思うんですよ。全然それで良いんですけど。むしろ旧劇知ってる身からすると、エヴァがそのくらいの感想で本当に終われたのなら上等過ぎるでしょって感じですけど。

けど、自分は小学校の頃に貞本エヴァから入り、アニメを観て……って、自分では言いたくないですけど割と古い方のオタクなんですよ。そんな自分が、あのファンサービス映画が刺さらないわけもなく。

シン・エヴァ観ながら心の中で「なんで今になって漫画版鋼鉄のガールフレンドの展開を活かしてくるんだよwww」って、心の中でゲラゲラ笑いながら泣きそうになってましたからねwまぁその辺りの細かい話は後述するとして……

 

纏めると、個人的にエヴァの映像作品は

映像的至高は旧劇、感情的至高はシン・エヴァ

って感じに落ち着きました。

エヴァを観終わって清々しい気持ちになれる。これだけで十二分に価値があるし、シン・エヴァは間違いなく名作だと、自分は感じました。

 

 

ここからはそんなシン・エヴァンゲリオン劇場版の内容についても書いていこうと思いますが、自分は一切、設定とか単語とか、その手の考察は一切しません。

 

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具体的に言うと、この入場者特典に書かれた数々の造語やら設定やら……これらを紐解こうとは、自分は一切思いません。

勿論、この手の考察も設定の深いアニメの楽しみ方だと言う方の意見も分かります。ただエヴァに関しては、自分にはそういう楽しみは必要ないです。

そもそも「分からない」ことが重要なので。

 

エヴァという作品は、テレビシリーズの頃から一貫して「理不尽な大人に振り回される子供」を主題にした作品で、数々の意味不明な造語や設定は「難しい言葉や状況を並べて子供を理不尽に押さえつける、現代の息苦しさのメタファー」であり、それ以上でもそれ以下でもないと思うんですよ。なので、エヴァの設定は分からないままの方がシンジくん達の視点に立てて面白い、自分はそう考えているので、自分から考察しようとは思わないです。

え?さっき「旧劇は考察した」って言ったじゃん?

あれは例外です() あの旧劇……第26話「まごころをきみに」だけは、考察しないと面白さを真に理解できないと、エヴァで唯一そう感じた作品でした。

「まごころをきみに」に関しては、A.T.フィールドとかLCLとか、普通に見てるだけでは一体何なのか分からない設定や単語が、そのままエヴァの根幹に直結するものが多く、考察すればする程エヴァという作品のテーマ性に深みが増すのですが、新劇場版以降の造語は、SF性を更に強めることで我々視聴者をあえて置いてけぼりにする(大人の会話に入れない子供の視点に立たせる)という意図以外、何も感じないんですよね。

なんというかQをきっかけに様々な考察を見かけるようになって、それはそれで楽しんでて良いことなんだろうなぁとは思っていたのですが、エヴァは考察してナンボ、みたいに感じてしまったのが若干自分には居心地が悪くて。実際、そんな界隈の空気感が重くて、エヴァを敬遠して観てないって人を、今まで何人も見てきました。だから考察とか抜きに、ただ映像楽しめば良いじゃない、アニメなんだからって、シン・エヴァが公開されるまでのここ数年、そんなことを考えていました。別に考察班をディスってるわけじゃないですよ。ただ自分は、考察しなくてもアニメは楽しいって、そんな当たり前のことが言いたかっただけです。

 

 

 

と、いうわけで、やっとシン・エヴァの話を始めますが……今回もQ同様、各キャラの視線が重要になる作品作りでしたね。

Qの話から地続きというのもあり、キャラクターデザインもそのまま継続なので、今作もバイザーや眼帯を使った演出が巧かったです。

Qのとあるインタビューで庵野さんが語られていたように、ミサトさんのバイザーやアスカの眼帯は、大人たちがシンジくんから目を逸らす為、または子供(シンジくん)と目を合わせてくれない大人たちを表現する為のアイテムであり、あれらを装着して話している時は、本心を隠しながら話しているという意図が込められているんですよね。

 

ミサトさんは「シンジくんにもう辛い想いをしてほしくない」という本心を隠す為にバイザーを装着し、

アスカは年齢的に立派な大人になってしまい、それ故に14歳の頃シンジくんに抱いていた感情を隠す為に片目に眼帯を装着(半分はまだ子供心が残っているという暗示)し、

ゲンドウはバイザーで本心を隠しながらも、そのバイザーの奥の目は抉れて失われ、他者と目を合わせて対話することを徹底的に拒絶した。

 

そんな視線による心理描写を演出する為のキーアイテムとなったバイザーや眼帯を、シンジくんの前で外して語る姿が、本作では良く目立っていました。

 

同時に、子供から見た大人の汚さを表現していたはずのこれらのキーアイテムが、シン・エヴァではシンジくん自身が大人たちの視線から逃げ、大人の目線にフィルターをかけていたという裏返しの事実を決定付ける役目も担っていたことが、第三村でのアスカの台詞から読み取れたのもポイントでした。

本作の大人たちがシンジくんに向ける視線は基本的に「優しさ」であり、その優しさからシンジくんが逃げていたというわけだったんですよね。Qとシン・エヴァで、目を覆うアイテムの意図が逆転した、見事な演出でした。

 

戦闘シーンに関しては、これは先程も述べたように、エヴァの戦闘シーンは特撮映画の良さが盛り込まれていた「破」で既に完成されていたと感じる部分もあり、それを越える衝撃があったわけではないですが、構図や展開は胸躍るものが多かったですですね。

それこそ初号機vs13号機の親子対決とか。あの寡黙な親子がエヴァ越しとはいえ殴り合うとか、夢にも思ってなかったですよね。実際に本人たちが殴りあってるのを想像すると笑ってしまいそうになるような戦闘シーンでしたが、同時に不思議と涙が溢れそうでした。

あの対決で、シンジくんの記憶内の町や屋内が戦う舞台になっていましたが、全部ジオラマとして描かれていましたね。最初の第三新東京市内で戦ってるとき「え?なんで急にこんなチープなの?予算不足?w」って一瞬感じてしまいましたが、初号機が空の壁にぶつかった瞬間、あぁジオラマだったのかと。特撮好きな庵野監督らしい演出でしたが、同時に監督が、最後の憂さ晴らしに描いていたようにも思えました。

エヴァの呪縛なんて、続編を待っていた我々視聴者によく使われてネタにされていましたが、この世で一番その呪縛に囚われていたのは、紛れもなく庵野監督自身だと思いますからね。Qのカヲルくんの「エヴァで変えたものは、エヴァで変えればいい」という台詞も、エヴァを作り続けることでしかアニメを描けなくなっていた庵野監督自身に対する皮肉に聞こえて仕方ありませんでしたし、楽しいというよりも遥かに、辛いアニメ製作だったんじゃないかなと思います。その最後を飾る映画の、最終決戦の場で、庵野監督自身を投影したシンジとゲンドウという2人のキャラが、エヴァに乗って作品内の舞台をぶち壊しまくる。もう二度とエヴァを作りたくないという監督の本心が見えた、そんな気がした戦闘シーンでした。

 

……戦闘シーンといえば、今回は戦艦同士の決戦も魅力的でしたね。思えばエヴァではまだ成し遂げてなかったなと。冬月の「もうしばらく碇の我儘に付き合ってもらおうか」という台詞と同時に流れてきた惑星大戦争のBGMには流石に笑いました。Qのナディアの次はこれかーw どこかで仕掛けてくるだろうなと思っていましたが、まさかご自身の作品からの引用ではないとは……てっきり今度はトップをねらえ辺りのBGMを突っ込んでくるかなとか邪推していましたが、予想外でした。

と、思っていたら直後の新二号機でアスカが裏コード999を使うシーン……演出がトップをねらえ2オマージュでしたねw擬似シン化の過程が、完全にディスヌフw

相変わらず、分かる人にしか分からないネタを突っ込んできて、とても楽しめた戦闘シーンの数々でした。

 

で、ここまでで既に5000字近いわけですが……まだ語り足りないというか、むしろここからが本当に書き殴りたかったことと言うか……まだ各キャラクターについて触れていませんでした。ここからはキャラクターを何人かピックアップしながら、色々語っていきます。もうしばらくお付き合いください。

 

・シンジ

全シリーズ通して繊細な14歳の少年として描かれてきたシンジくんですが、今回のシン・エヴァで真に主人公として覚醒しました。破のラストもかっこよかったですが、今回それを遥かに凌駕する成長っぷり。大人になったな、シンジ……(号泣)

 

第三村に来てから初めて本音を吐露した時の「もう誰とも話したくないのに……どうしてみんな、僕に優しいんだよ……!」って台詞が、本当に緒方さんの演技力が凄まじくて、その後のアヤナミレイの台詞と相まって、気づいたら泣いていました。あれ、エヴァってこんなに泣けるアニメだったか……?と、今回の映画の良い意味での異質さを感じた最初のシーンでしたね。エヴァで泣いたことなんて、今まで自分は無かったですから。

 

エヴァの収録を重ねる度に、14歳の少年役という枠の中で進化を続けていた緒方さんの演技力には、本当に圧巻されっぱなしで。シン・エヴァでの緒方さんの芝居は、最後を飾るに相応しい、素晴らしいものでした。

 

そして、アディショナルインパクトを止め、元の世界へ戻り、大人になったシンジくんたちが描かれる爽やかなラストカット。いやぁ、やはり名作あるところにこの名前ありと言いますか。大人になったシンジくんの声を聞いた時、え?声優誰?って、本当に分かりませんでしたが、エンドロールで衝撃を受けました。千と千尋サマーウォーズ、君の名は……数々の名作アニメに顔を出していた神木隆之介くんが、まさかエヴァの最後を飾ってくれるとは。嬉しかったですね。

その神木くんの起用もですし、最後シンジくんと一緒にいたのが新劇場版からの新キャラであるマリだったり……やっぱり今回のエヴァは「新しい出会い」「新しい関係」の素晴らしさを伝えたかったのではないかと思います。

今回の脚本も摩砂雪さんや樋口さんの名前が無くて、全体的に過去作では見かけなかったスタッフの名前が目立っていたんですよね。前述した「良い意味でエヴァっぽくない映画」「今時の普通に面白いアニメ映画」なのも、この辺が理由なんだと思いますが、エヴァを通して庵野監督も新しい出会いを重ね、その素晴らしさに何か思うところがあったのではないかと。シン・エヴァは、昔からの信頼できる仲間と同じくらい、新しい出会いも大切に製作していた、そのような印象を受ける出来だったと感じます。

 

最後シンジくんがマリの手によりDSSチョーカーを外してもらうわけですが、何故数年経っても尚チョーカーを付けていたのか?とか、思うところは確かにあります。しかし、あれはエヴァに囚われ続けた庵野監督自身が、エヴァを最後まで描き切ることで、ようやくその使命から抜け出すことが出来たことのメタファー以外に、理由は無いと思っています。また噂では、マリの人物像は庵野監督の奥さんである安野ヨモコさんが元なのではないかと言われているようで、仮にそうなのだとしたら、最後庵野監督の呪縛を解いた人が、庵野監督が愛する奥さんであったようにも捉えることができて、なんだかほっこりしますよね。あくまで噂ですけど。

庵野監督、本当にお疲れ様でした。

 

・レイ

黒波の最期には泣かされました……。第三村での生活を機に、どんどん人間らしさを獲得していき、仕組まれた感情と理解した上でもシンジくんへの好意に喜びを覚え、そのシンジくんから「綾波」の名を与えてもらい、最後は死装束の意味と、綾波レイに限りなく近い存在にまで成長できた証を込めて、綾波レイの白いプラグスーツを纏い、LCLに還る。一連の流れがあまりにも綺麗過ぎて、このシーンも良い意味でエヴァを見ている感覚ではありませんでした。

なんていうか子供の頃から、ゾイドのフィーネや、エウレカセブンエウレカのような、自分たちとは種族的に違う存在が、次第に人間性を獲得していくという展開が本当に大好きで。だから自分は、綾波レイエヴァの中で一番好きなヒロインなんですけど。黒波はその変化する過程の描かれ方が本当に丁寧で、良い最期を迎えれたなと。

 

破でシンジくんが助けた綾波が、長髪になり再登場してくれたのにも、綾波ファンとして涙を禁じえなかったですね。

マリがアスカの髪を散髪するシーンで「エヴァの呪縛下でも髪だけは伸びる」ことが明言されていましたから、綾波の髪が伸びていたことの裏付けになっていましたし、同時にそれが「エヴァの呪縛によって人間の枠を越えてしまっても、自分たちを人間と認められる貴重なファクター」であることも語られていて、今まで異質な存在として扱われることの多かった綾波もまた人間であることが、マリの台詞から証明されたんですよね。

シリーズを通して、綾波は外見的にも内面的にも色んな姿を魅せてくれますが、長髪になることが人間性を高める最後のパーツだったとは……素晴らしい着眼点でした。髪の毛が長くなっても、綾波は可愛くて美しかったな……(アヤナミスト並感)

 

 

・アスカ

名字が変わることで様々な考察が飛び交っていた式波アスカラングレーですが、アヤナミレイのようなコピー体であることが明かされました。眼帯も、前述した「視線を遮断し、本音を隠す」という演出的な意味以外にも、使徒の力を封印していたという設定的な意味も込められており、使徒化する展開は手に汗握るものがありましたね。テレビシリーズではエヴァ3号機にトウジが搭乗していた展開を、破でアスカが搭乗する展開に変更したのも、最終局面でアスカを利用する為だったと……素晴らしい構成でしたね。

分かる人にしか分からないですけど、あのアスカが使徒化するシーン、完全に「トップをねらえ! 2」のディスヌフ覚醒シーンのオマージュで、ちょっとクスッときましたw

 

シンジくんとの決別も、シリーズを追ってる人ならば目頭が熱くなるものがあったと思います。これまでエヴァの〆といえばシンジ×アスカが鉄板、みたいなところがありましたが、今回はシンジくんとアスカの精神年齢のズレが、あまりにも大きすぎましたからね。マイナス宇宙で、旧劇のラストで描かれる浜辺で語り合うシーンは、アスカファンには堪らない演出だったのではないでしょうか。あの浜辺のシーンで、こんなにも清々しい気持ちになれる日が来るとは。

 

あと今回のアスカといえばやっぱり……ケンスケとの仲ですよねぇ。あのアスカが「ケンケン」なんてニックネームで呼んじゃって。ニアサーからの14年間で、生き残りの人たちを先導していたケンスケに、信頼を寄せていったのであろうことが、劇中の台詞から良く伝わってきました。

マイナス宇宙から脱出する際も、最後はケンスケが迎えに来てくれましたし、ラストカットでエヴァには珍しくアスカの姿が無かったのも、ケンスケと別のところで仲良く暮らしているからなのだと思うと、アスカもシンジくん同様に、新しい関係の中で幸せになれたんだなと。

……ただ新しい関係とは言いましたが、いや実際そうなんですけど……このアスカとケンスケが結ばれるっていうのが、知る人ぞ知るファンサービスになっていたのもポイントで。鋼鉄のガールフレンド2ndを読んだことのある人は、ついニヤッとしちゃいますよねwその漫画では、ケンスケがアスカに片想いしてて、実際アスカと凄く仲良くなってるんですよ。結局、ケンスケの告白も虚しく、アスカはシンジくんを選ぶんですけど、まさかシン・エヴァで結ばれるとは……。しかもアスカがケンスケを選ぶ理由がしっかりしているのも素晴らしいですよね。台詞をしっかり読み解きながら見ていれば、別に鋼鉄のガールフレンドを読んでいなくても納得できる関係性でしたから。

新しい関係性を描きつつ、かつファンサービスもこなす、最高のハッピーエンドをアスカは迎えることが出来たと思います。

 

 

・ミサト

いや今回この人の活躍で泣かないわけがないんですが。

エヴァQでのシンジくんへの冷たい風が対応は、前述した通りわざとであったことは、別にシン・エヴァ見るまでもなくQのバイザーを使った演出から感じ取ることはできましたが、それでもやっぱりシンジくんの目の前で、昔と変わらぬ優しい表情を見せてくれた時は、自然と涙が溢れました。

シンジくんを庇い、旧劇で撃たれた時とほぼ同じ位置にサクラの発砲を受け、「碇シンジは今も尚、私の管理下にあり……」と台詞を放つシーンで、涙を堪えるのに必死でした。結局その直後の、シンジくんとの会話でボロ泣きしましたが()

 

今回ミサトさんが、遂に母親になっていたのも大きなポイントで。旧劇で有名な台詞ですが「大人のキスよ。帰ったら続きをしましょう」とシンジくんに告げるシーン。結局あの時ミサトさんは、シンジくんの親代わりになれずに、最後は男と女の関係でシンジくんとの繋がりを誤魔化そうとしたんですよね。そんなミサトさんが、シン・エヴァでは加持さんとの間に子供を作り、子供の為に戦い、決戦へ赴くシンジくんを保護者として見送ることが出来た。過去作でままならなかったことを、ミサトさんはシン・エヴァで見事払拭することができました。

ヴィレの生き残ったクルーも全員助け、最後の希望であるシンジくんに全てを託し、息子を思いながら、加持さんのもとへと向かった……チルドレン達が子供から大人へと成長すると同時に、ミサトさんは大人から更に大人として成長し、立派な「親」になれたんですよね。本当にエヴァだよなこれ……良い意味で……

 

 

・カヲル

シンジくんの手により、ついに無限ループから抜け出せたカヲルくん。「君は変わらないね」と、シンジくんが差し出してくれた手に涙を溢す彼に、貰い泣きしてしまいました。あのカヲルくんが泣いたんですよね……

いつも手を差し伸べていたのはカヲルくんの方で。けどそれも実はシンジくんを救う為ではなく、そうすることで自分が救われたかったが為の手段であったことに気づいてしまって。そんなカヲルくんに、自分の為ではなく相手の為に身を呈することができるシンジくんから、手を差し伸ばしてくれて。そりゃカヲルくんも泣きますよ……どの時間、どの時代にも存在して、救われぬまま何度も、その姿のままリリンたちのもとに姿を現す存在が、大好きな人の手により、遂に人の生を受けることができた。本当に嬉しかったと思います。

 

渚カヲルという名に込められた意味の新解釈も素晴らしかったですね。オワリを1文字ずつずらしてカヲル、渚の漢字を部首で分離してシ者、合わせて「最後の使者」を意味する名前であることは、テレビシリーズのサブタイトルから読み取れる、今やファンであれば誰もが知っているであろう情報ですが、今回は「渚」の持つ意味を上手く解釈してくれました。またカヲルという名前も、オワリを1文字ずつ前にずらす……つまり、終焉から一歩前進し、新しい未来へと向かう意図が込められていたのかと思うと、当初の「最後の使者」からは想像もつかないほど、美しく前向きな名前として解釈できるようになったなと、深く感動しました。

 

 

・マリ

シンジくんのことを語った時にも書きましたが、彼女は「新しい出会い」の象徴として生まれたキャラだったなぁと、ラストを見て感じました。

ただ、ラストシーンを安直にマリENDと言うのも、難しいような気もします。

 

貞本エヴァ(漫画版)の設定がそのまま新劇場版に活きているのかは分かりませんが、それを暗示する描写は写真等で多かったので、マリの行動原理って、大好きな碇ユイが核にあるはずなんですよね。

大好きなユイの息子であるシンジくんを、ユイの代わりに見守らなければいけないと思っていて、だからシン・エヴァでは冒頭でも終盤でも、シンジくんを「必ず迎えに行く」と、珍しく真面目な表情で呟いていたのではないかと。

あと破の時にシンジくんの首筋を嗅いでLCLの良い匂いと言っていましたが、それはシンジくんからユイ(が溶け込んだLCL)の匂いがしたからで、今回匂いを嗅いだ時に「前と違う」と言ったのは、ユイの匂いだけではなくて大人として成長したシンジくんの匂いも同時に感じたからなのだと思います。大好きな人の息子が、子供から少し成長したなと、匂いから感じ取ったと言いますか。

なので、マリはシンジくんを恋愛対象として見るというより、ユイの代わり、そして亡くなってしまったミサトさんの分も、シンジくんを保護者として見ているのではないかと。精神年齢的にもかけ離れていますからね。

結局マリは最後まで謎を残したままだったので、確証を持てない話しかできないですが、シン・エヴァで更に魅力的なキャラとして昇華したのは、間違いないですね。

 

 

・ケンスケ

トウジやヒカリについても語りたいところではあるのですが、既に文字数ヤバイので、今回は第三村の登場キャラで一番語ることの多い彼について語ります。

序盤の展開で、一番見せ場の多いキャラでした。テレビシリーズでは、シャムシエル戦後家出したシンジくんをキャンプに誘い、彼を励ますシーンが、ぶっちゃけケンスケの最初で最後の見せ場でしたが、今回はその分大活躍でしたね。

元々ケンスケはエヴァパイロットになりたいという願望を持っていた人物で、今回彼がトウジたちよりもシンジくんの気持ちに寄り添えていたのも、一般人の中で特にエヴァパイロットとしての使命や運命を、その願望故に理解していたからなんですよね。トウジはシンジくんに「この村に残ってもええ」と言ってくれたし、それは十分シンジくんにとってありがたい言葉だったはずですが、ケンスケはシンジくんがヴィレに戻る運命にあることを最初から察していたと思います。間違いなく、あの村でシンジくんの一番の理解者は、ケンスケでした。

 

あと、やはりケンスケと言えば、先程も書きましたが……良かったなぁ、遂にアスカと結ばれて……!

いや、鋼鉄のガールフレンド2ndは子供の頃に何度も読み直したくらいには好きで、シンジ×アスカの関係には十分納得していたものの、ケンスケがいつか報われたらなぁって、ずっと思っていたんですよね。本当にまさかのサプライズでしたよ……製作陣も、実際そこまで考えて構成立てたかは謎ですけどw

 

 

・ゲンドウ

テレビシリーズの頃から実質的なラスボスポジションでしたが、今回のシン・エヴァで今まで以上に明確に、ラスボスとして描かれました。

これまでゲンドウの過去について全く触れたことがなかったわけではないにせよ、ここまで深く描写されたのも初めてというのもあり、マイナス宇宙でのゲンドウの過去回想は感情移入しっぱなしでした。中でも「親戚やクラスメイトの家に連れてかれた時は、そこでの習慣や情報を無理やり強要されるのが嫌で仕方がなかった」という台詞から、冒頭の第三村でトウジの家に連れていかれたシンジくんと姿が重なるのが、巧かったですね。この親にしてこの子ありというか、結局シンジくんとゲンドウが似た者同士だったことが、良く分かる描写の数々でした。

ここで効いてくるのが、昔からシンジくんのキーアイテムである音楽プレーヤーで。

あのプレーヤーはテレビシリーズの頃から、シンジくんが他者との繋がりを断絶するためのメタファーとして描かれたアイテムですが、元々はゲンドウの持ち物だったという設定を活かしたのは、今回が初めてではないでしょうか。

「これは捨てるためじゃなくて、渡すためのものだったんだね」

シンジくんの台詞で、他者との繋がりを断絶する為のものから、他者との繋がりを尊ぶものへとプレーヤーは生まれ変わり、家族の絆と共にゲンドウの手へと返ります。

そうすることで、息子と向き合う強さを得たゲンドウが、昔は突き放すことしか出来なかった幼少期のシンジくんを抱きかかえることができ、そこでようやく、シンジくんの中にユイがいることに気がつけた。ここの流れが本当に感動的で。あの悲惨だった親子関係を、違和感なくここまで修復できた脚本・構成の巧みさには、脱帽するしかありません。

ゲンドウも最期は、本当の願い通りユイを看取ることが出来て、幸せだったと思います。

 

シン・エヴァ最後まで観ると、これまでの新劇場版の主題歌が全て、ゲンドウの歌詞だったことが分かるのも感動したポイントでした。エンドロールの最後をBeautiful world で締め括るのも納得。桜流しも、One last kissも、どれも素晴らしい楽曲でした。やっぱり宇多田ヒカルは天才。

 

 

 

さて、まだ数名触れておきたいキャラがいるのですが、もう10000字越えちゃってていい加減長いので、キャラクターに対する感想はここら辺で切って、〆に入りますw

最後はシン・エヴァの感想ではなく、完全に思い出話です。まだお付き合いいただけるのでしたら幸いですし、ブラウザバックしてもらっても全然構いませんw

 

 

 

 

思えば、エヴァと初めて出会ったのは物心つく前の、幼稚園の頃でした。あの頃の記憶が鮮明に残っていることって少ないですが、その数少ない記憶の中で、特に覚えていたものがあって。

両親とショッピングモールだったか、大きな店に出掛けて、その先の店内ポスターが脳裏に焼き付いていたんですよね。多分、映画館のあるショッピングモールだったんだと思いますが。

そのポスターには、真っ赤に染まった水の中を、人が何人も浮いているのが描かれていて、生物が危険視する赤色が基調だったこともあり、恐怖から記憶していたんだと思いますが、当時の自分がまだ文字までは鮮明に覚えているわけもなく。

それから数年が経って、小学校の頃に月刊少年エースからエヴァという存在を知り、単行本を集め、テレビアニメ版を全話見て……エヴァの世界に浸かりまくる日々を送る中、旧劇場版の存在を知ったのは中学の時でした。その時に旧劇のポスターの構図を知り「あれ、もしかしてこのポスター……小さい頃に見たことがあったけど何の映画のか分からなかった、あの赤いポスターじゃないか?」と気付きました。まさか、物心つく前からエヴァを認知していたとは……その時中学生だった自分が、運命的な何かを感じていたのを今でも覚えています。

……まぁ、それでいざ旧劇を観たら、内容も訳わからないし、あまりのグロさに昼ご飯を吐きそうになったんですけどね!w

テレビシリーズくらいのグロさでしょどーせ、大丈夫大丈夫とか思いながら、旧劇観る前にラーメン啜っていたのも、今となっては良い思い出です。本当に馬鹿なことをしました。

で、そんな衝撃的な内容だったが故に暫く敬遠してた旧劇を、高校の頃に勇気を振り絞って観直したんです。その時に「あれ?もしかしてエヴァって凄くないか?」って感じて。中学の頃よりも感性が養われていたのもあり、そこから更にエヴァの奥深さにのめり込んでいきました。

 

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ですが、やはり仕方ないとはいえ新劇場版の製作時間が長く、他にも好きな作品が沢山増え、特にQからシン・エヴァの間は約8年ですから、その間にもっと熱中する他の作品を追いかけることに忙しくて、自分がエヴァをどれだけ好きだったかということが、ここ数年でどんどん埋もれてしまっていました。

ですが今回シン・エヴァを観て、エンドロールが流れ始めた時に、勝手に涙が流れていることに気づいて、その時「あぁ、俺こんなにエヴァのこと好きだったんだな。終わって本当に良かったな……」って、昔の記憶と共に、あの頃エヴァに捧げた情熱も蘇ってきて、本当に良い映画だったなって心の底から思えました。

 

この数年間もエヴァのことを考えていた人は大勢いるだろうし、そういう人たちと比べたら、俺なんてファン名乗る資格ないよなとか、考えていたこともありましたが……シン・エヴァを見届けて、確信を持って言えることが1つできました。

 

自分は子供の頃からエヴァが大好きだったし、これからもずっと、エヴァファンです。

 

庵野さんはじめ、これまでエヴァという作品に携わってくれた方々に、まごころを込めて……本当に今まで、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

 

 

長々と稚拙な長文、失礼しました。ここまで読んでくださった方に、ありがとう。

 

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